西郷 “ええとこ” 巡り「移動ふるさと講座」

阿弥陀寺の名称の由来と阿弥陀寺周辺の散策

10月16日(土)、昨年度好評でした野外での「移動ふるさと講座」第3回。今回は字名「阿弥陀寺」の名称の由来を中心に、水争いの仲介「観音様」や牛・馬の安全健康を祈る「馬頭観音様」、右 い志ら(伊自良)、左 たにくみ(谷汲)道と彫られた「道しるべ」、山崩れで倒壊し再建された「八幡神社」や西郷側に崩れた船来山24号墳崩落跡を巡りました。初めに「阿弥陀寺公民館」に集合し、「阿弥陀寺」の名称の由来を自治会長さんからお話し頂きました。福井県大野市、教願寺の寺僧「賢隆」が元和6年(1621年)から寛永16年(1639年)西郷に住んでいて、船来山山麓にお寺の建造を志たが病死され建造は果たせませんでしたが、このお寺の名前に由来するとの説があるそうです。船来山24号墳については、私が西郷小学校2年生の時に大雨が続き、団地造成工事で山裾が削られ崩落しました。たまたま糸貫側の柿畑を見に来た方が古墳の崩落に気付き、西郷側(岐阜市側)が崩れて露になった古墳にもかかわらず以降、糸貫(本巣市)中心の新聞報道(当時の新聞では珍しいカラー印刷)をはじめ現在も船来山古墳群は本巣市のものというイメージが残念です。今年になり、西郷にも数は少ないが古墳(天板を除くほぼ完全な石室)が見つかり、地域の方々をまき込んで何らかの町おこしをしたいなと考えています。

阿弥陀寺公民館で名称の由来を聞きました
智勝院より賜った水争いの仲介「観音様」
道しるべ 右 い志ら(伊自良)、左 たにくみ(谷汲)
後鳥羽上皇第六皇子 教願寺賢隆の墓

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