第2回公民館移動ふるさと講座

正法寺・県重要文化財絹本著色涅槃図と境内周辺

換気のため戸はすべて開けて開催、左右に涅槃図(複製)
創建当時の『身洗観音』が祀られている観音堂
観音堂と同時期に建立された鐘楼堂
正法寺の田中ご住職のお話し
蕉風以哉派第18世白果仙(田中専雅)と又玄社歴代宗匠の句碑
小野地蔵堂では田中自治会長より地蔵盆について説明

西郷公民館『第2回移動ふるさと講座』が11月14日(土)正法寺及び境内周辺で開催されました。正法寺の前身は、聖武天皇の時代・天平17(745)年に、光明皇后の御心願により行基菩薩が開かれた観音洗寺です。本尊は行基菩薩が水で身を清められて彫刻された御身の丈二尺余の聖観世音菩薩立像です。完成した時、奈良の都で光明皇后が蓮の華を手に「仏の大慈悲の教え広めたい」と誓願され、蓮の花を空へ投げられ、たどり着いたのがこの地だったのです。土地の人は光を放ちながら飛んできた蓮の華に驚き、天皇に申し上げ勅許により寺を建て『大悲山蓮華王院観音洗寺』としました。美濃の国に二つとない立派な寺でした。時代は流れ、土岐成頼が同所に『医王山正法寺』を建立、『観音洗寺』と合併されたようです。その後、道三の時代、本尊のみ兵火を免れ両山とも焼失。その後、黒野城主の加藤左衛門尉貞泰公により古義真言宗『五光山蓮華王院正法密寺』を建立、江戸時代になり小野、黒野、古市場、折立、今川の檀家に護られてきました。明治になり排仏毀釈政策により荒廃したが、郷純造男爵の一寄進で観音堂が建立され、合わせて絹本著色涅槃図二幅も寄進されました。二年後の濃尾大震災により観音堂以外が倒壊しましたが、寺檀が力を合わせ修復・再建、現在に至っています。

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